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【悲報】江戸時代は混浴が当たり前だった → 証拠の画像をご覧くださいwwwwwww

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1:名無しのお客さま
江戸時代には、庶民の暮らした貧乏長屋はもちろん、
かなりのお屋敷に住む町民や下級武士の家にも、たいてい内風呂はなかった。
自宅に風呂場をつくろうとすれば、専用の湯殿と井戸が必要だったが、
江戸の町はもともと井戸水の出が悪かった。
そのため、京や大坂に比べて江戸には湯屋が多く、
江戸時代末期になると町内に一軒はあり、
なかなか繁盛していた。
当時の湯屋は混浴で、町人や下級武士の娘も、
職人たちと一緒の風呂に入っていた。
混浴というと今では驚きだが、やはり江戸時代にも風紀上問題があるとして、
寛政3年(1791年)には、いったん男女の浴場が分けられる。
しかしその後は、混浴に戻っては再び禁止令が出される、
のくり返しだった。

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2:名無しのお客さま
裏・アニメ都市伝説
【千と千尋の神隠し】
話の舞台は、実はソープランドであり、
湯女とは遊女、つまりソープ嬢のこと。
そのため油屋の客の全てが男神であり、
働き始めに名前を変えられた習慣は、江戸時代の遊女の習慣である。

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3:名無しのお客さま
ひとまとめに考えるのは違い
江戸でも別浴の銭湯もずっとあったよ
あと江戸時代初期は入浴でも服を着る
4:名無しのお客さま
むしろ現在のドイツとかでサウナが混浴な方が謎なんだが
5:名無しのお客さま
浴衣はそもそも入浴時に着て、体の汚れを吸着させるための物だった
6:名無しのお客さま
だから浴衣の下にパ○ツをはかないというルールはあっている
7:名無しのお客さま
でも当時の日本世界で一番性犯罪が少なかったって聞いた覚えが
8:名無しのお客さま
>>7

風俗が充実してたからね

9:名無しのお客さま
>>8

しかし吉原で女郎に相手してもらうには、3回通ってなじみになるしかなかった!
初回では一緒に茶屋で食事をするだけ、裏を返すと話しかけてくれるようになる、
でなじみになると性行為が出来る。
ただなじみになるには今のお金で数十万必要だった
しかも一度決めた女郎は変更できなかった!もし裏切れば振袖新造から殴られて出入り禁止に

10:名無しのお客さま
それは高級店だけ
11:名無しのお客さま
>>9

高級クラブのおねーちゃんやキャバ嬢口説くより安上がりじゃね?

12:名無しのお客さま
関係ないけど春画貼っていきますね

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13:名無しのお客さま
四谷怪談忠臣蔵の湯屋のシーンと
高岡早紀のおっぱいシーンは最高

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14:名無しのお客さま
男湯と女湯が分けられるって言っても
真ん中についたて一枚おいただけ
ペリーが来た頃に外国の皆さんびっくりしてなんなんだこの野蛮な国は!
って言われたもんだから幕府が規制した
15:名無しのお客さま
>>14
16:名無しのお客さま
ペリー云々は嘘くさくね?
わざわざ庶民の風呂屋なんか行くか?
17:名無しのお客さま
つまり、徳川幕府は超絶有能やったんか
18:名無しのお客さま
俺のご先祖様は朝から晩まで入ってただろうな…
19:名無しのお客さま
生まれる時代間違えたか